「好きなことだけして生きていけたらなぁ」
「好きなことを仕事にできたら楽しいだろうなぁ」
実際に私が自分の好きなことだけして10ヵ月間生活したら幸せだったのか、お伝えします。
結論から言って、幸せ
はい、私は10か月間とっても幸せでした。
感じる”幸せ”は人それぞれ違います。
- 好きなことだけして生きていく人生を送りたい人
- 好きなことだけして生きた人生は幸せなのか気になる人
これから読み進めていこうとする方には、自分の”幸せ”とはなんなのか考えながら読んでいくことをおすすめします。
わたしの幸せ
私は高校卒業後から実家を離れ、2018年の7月まで一人で生活をしてきました。
まとまった休みがあるときは実家に帰って来ることもありましたが、会社員として働いている時はそんな休みはほとんどなく、実家に帰って来ることは年に1回程度でした。
大好きな母と過ごせる毎日
2018年7月以降、現在は実家に戻り生まれ育った地元でのんびり暮らしています。
家には大好きな母と大好きな愛犬もいます。
母は私が小さいころから夜勤をしながら働いていたので、一緒にいたいときも一緒にいることができないことがありました。
今は夜勤の勤務のない仕事をしているので、母と過ごす時間が十分に取れていて、仕事以外ほとんどの時間を一緒に過ごせています。
一緒にご飯を食べたり、買い物に出かけたり、枕を並べて他愛もない話をしながら一緒に寝たり。
そんな何気ない時間が私にとっては本当に貴重で尊く、母と過ごせる今この時間にとても幸せを感じています。
愛犬と戯れられる毎日
愛犬と離れて過ごしている間も、家族がメールで動画を送ってくれたりしていました。
人間は画面の向こうで動いているものや人、聞こえてくる音や声を一つひとつ認識することができますが、犬はできません。
呼びかけてもパッとしない反応で、私が画面に映っていることや声が聞こえてきているということが、はっきりとは分かっていないようでした。
距離が離れていても家族(人間)とは電話で話が出来ますが、愛犬と話が出来ないこと、触れ合えないことに寂しさというストレスをとても感じていました。
本当に大好きな愛犬と毎日直接話をし、戯れることができて、毎日楽しく飽きることがありません。
今一番興味のあるブログやアフィリエイトに集中できる
仕事をしていたり、何かやらなければいけないことがあると、好きなことや趣味は後回しになりがちですよね。
したくないことも、仕方なくしている仕事も「好きなこと」とは、また違います。
私はどこかに勤めて仕事をしているわけでもなければ、誰かに雇われて働いているわけでもありません。
以前の仕事やこれまで学生時代に先行してきた履修科目も、パソコンやネットに関係するものではありませんでした。
無知で未知の領域に足を突っ込もうとすると、他のことをやる時間も体力も残らないほど、その世界にどっぷり浸かりきらなければ集中ができません。
今私が一番興味を持っているブログやアフィリエイトを突き詰めたいと思っていながら他の仕事をしていたら、どちらも中途半端になってしまい、ここに来るまでに諦めていたと思います。
それでもここまでこれたのは、自分が一番やりたいものだけに集中ができるという幸せな環境にいられた、この10ヵ月間のおかげです。
誰にも何にも縛られない自由
好きなことは何かに縛られていては、思いっきりできないと私は考えています。
時間的自由
好きなことをするためには、起きる時間やご飯の時間、お風呂の時間や寝る時間などが決められていると、その合間にやる必要があります。
でも、その時間的制約が何もないと、時間を自由に使うことができ、好きなことを存分に楽しめます。
時間は誰にでも平等に与えられ、増やすことや減らすことはできなくても、必要な分は自分で作り出すことができます。
時間的自由はプライベートに費やすを確保し、自分の好きなことをする心理的余裕をも作り出し、良いことしかありません。
社会的自由
どこにも属せず、自分主体で動く。 ニート、無職、フリーランス、個人事業主、、
『独立したい』と思う人は、社会的縛りから解放されて自由になりたい(活動の場を広げたい)という思いが、声にせずとも心のどこかにあります。
働き方改革が進んでいるとはいえ、会社員や公務員として働いていると、長い就業時間の拘束や上司や取引先との付き合いなど、仕事のためにプライベートの時間までも割かなければならない現状が未だあります。
そんな社会的縛りから解き放たれ自由になったとき、初めて心の底から素直な気持ちで「好きなこと」を楽しめるのではないでしょうか。
もちろん、何かしらの縛りがある中で取り組むからこそ、そこで感じられる幸せがより大きくなるということも一理あります。
ですが、純粋な幸せを感じるためだけに、精神的・肉体的な苦痛や我慢をしてまで感じる幸せは、本当の”幸せ“と呼べるのか私には疑問です。
ただ物足りなさも若干ある
好きなことだけして生きているこの10か月間は、若干の物足りなさをいくつか感じました。
でも、それは好きなことだけして生活してみて、初めて感じたことでした。
社会的つながりが少ない
これは、私が好きなことだけしてして生きている中で一番感じた物足りなさというか、一番最初に欲したものでした。
私の好きなことの中に「他人と直接的に関わること」は入っていません。
なのに、ブログやアフィリエイトといったネットを中心とした生活になった途端に、仕事で一緒に働く同僚も上司も後輩もおらず、家族以外の人と会話をする機会が極端に減りました。
話す機会があるとすれば、コンビニや飲食店の店員さん、年金や保険の手続きをしてもらう役所の人たちだけです。
時々お茶する友達や親族もいますが、社会的な繋がりといった場合、本当に限定されてしまいます。
私はこれまで、こんなにどこかに属せず仕事をしない期間というものはなかったので、正直職場の同僚の人たちと話さないといった生活をしたのは初めてでした。
そこで私は「社会的つながり」が減った(ほとんど無い)ことに、寂しさ・物足りなさを初めて感じました。
金銭的自由が足りない
好きなことで生計を立てられるほどにお金を稼ぐことができていれば、金銭的不自由はありません。
ですが、もし好きなことでお金を稼げなければ、生きていくために好きなこと以外もしたりしてお金を稼ぐ必要があり、金銭的不自由さを強いられます。
私はブログとアフィリエイトをしていますが、まだまだひよっこで毛も数本生えたかな?程度ですが、
実家に居候はしているものの、貯金を切り崩しながら年金や保険料をなんとか自分で支払えています。
私の今一番好きなことであるブログやアフィリエイトだけで生活をしていくには、もっと知識・情報のインプットと努力の積み重ねが必要だと感じています。
それでも幸せ
上で話した物足りなさも感じていながら、それでも幸せだと私は言えます。
好きな人がいれば心が満たされる
私の好きな人は家族、大好きなのは母と愛犬です。
大好きな母と愛犬が居てくれるだけで私の心は満たされ、とても幸せな気持ちになります。
幸せはお金じゃない、でも幸せでいるためにはある程度お金も必要
これに尽きます。
10ヵ月間、好きなことだけして生活してみて、改めて実感したこと。それは
幸せはお金じゃないけれど、幸せでいるためにはある程度のお金も必要ということ。
お金が全てではないし、お金で買えないものもあるけれど、お金がないからといって好きなことができなくなるのであれば話が変わって来るかな、と。
多少の我慢や好きでないことをしてお金を得ていたとしても、自分の好きなことができない人生よりも好きなことをできる人生の方が心豊かに暮らせる。
まとめ
「好きなことだけして生きていきたい」そう思っている人は多いのに、その裏で「そんなのムリゲーだ!」「理想論すぎる!」と諦めている人は多いと思います。
ダメだったらうまくいく方法を探せばいいだけで、うまくいけば好きなことだけして生きていけるかもしれません。
自分の好きなことだけして生活したら幸せなのか
私のその答えは
【とても幸せ】
【不幸せと感じた日は1日もない】