生田斗真主演の土曜ドラマ『俺の話は長い』夜10時から日テレ系列で現在放送されています。(9-12月期)
いつもはそんなに真剣に見ていないのですが、昨日は久しぶりに真面目に見たんです。生田斗真演じる岸部満が最強ニートすぎて、ビックリ(笑)
でも、満がこねる屁理屈の中には、私たちが見失いかけている大切な何か、人が生きていくうえで本当に大切なことは何なのか
そんなことを問いかけた、現代を生きる私たちへのメッセージが込められています。
※まだドラマを観ていない方は、若干ですがネタバレになるので気を付けてください※
『俺の話は長い』ストーリー
生田斗真演じる岸部満はニート歴6年になる31歳、実家に、母親房枝(原田美枝子)に寄生して生活中。
その同じ屋根の下で暮らすのが、姉の秋葉綾子(小池栄子)と義兄の光司(安田顕)姪の春海(清原果耶)
5人の会話劇も『俺の話は長い』の見どころの一つで、何よりも満と綾子の口喧嘩は毎回見もので、
満は自分自身を正当化するために何かにつけて屁理屈をこねまくって、自分の身にふりかかった現実からなんとか逃れようとしていく。
屁理屈アラサーダメ男がしょうもないことで奮闘する姿を描きながらも、言葉の端々には満の人柄や人生観が表れているヒューマンコメディドラマです。
ヘリクツの天才
生田斗真演じる岸部満は、なんといっても屁理屈をこくのが上手。
満の姉(秋葉綾子役)として小池栄子さんが出ていますが、顔を合わせるたび挨拶代わりにするのが口喧嘩
その姉弟けんかの中で発揮される満の屁理屈をこねる天才っぷり。
自分のダメさをごまかし続けていたことで、自分の身を守るために身に付いた特殊能力で屁理屈をこねまくれるように…
『俺の話は長い』理由はヘリクツのせい
結局、話が長いのは屁理屈をこねまくっているからであって、屁理屈をこねなければ話は長くならないということです。
自分を正当化するために屁理屈をこねて、ただ現実から逃げているだけ。
『俺の話は長い』での家族との会話シーンは会話劇というだけあって、ものすごい勢いでものすごい数の言葉が飛び交います。
11月9日放送分では、房枝と綾子・春海の3人が体の不調を訴え、顎が痛いのは喋りすぎで、喋りすぎる原因は満との口げんか(満の屁理屈)にあるという結論で満場一致。
翌日から、その女組3人は満との話をできるだけ端的に済ませて屁理屈を言わせないように、満の言ったことをすべて受け入れた会話をしていました。
最終的には我慢できず、みんな口を開いて言い返しちゃうんですけどね(笑)
ニートで居候なのに自分中心
生田斗真演じる岸部満はニートで実家に居候中でありながらも、自分中心に生活をしています。
第5話では、晩御飯に使う牡蠣の買い出しを頼まれていても、それを忘れた?のか放り出して、自分のそのときやりたいことをやってしまいます。
家族はみんな満が牡蠣を買って帰ってくるのを楽しみにしていたのに、結局満は夜遅くまで帰ってきませんでした。
『ニートだからせめて家族から頼まれたことはしよう』とか『居候なりに家のことを手伝おう』とかいう気持ちはゼロ。
開き直って振り切れたニート生活を送っています。
買い出しを放り出した屁理屈は「人命救助」
姉の綾子から買い出しをせずに何をしていたのかと咎められると、満は「強いて言えば人命救助」と答えました。
もう、呆れて言葉もませんね(笑)
綾子や春海、房枝はその屁理屈を聞き、上述した顎が痛むなど体の不調もあり黙ってかわそうとしましたが、すでに我慢の限界
「強いて言えば」の人命救助なわけですから、強いて言わなければ人命救助ではない…
ニート満のこねる屁理屈が壮大すぎます。
満の屁理屈には人生観が垣間見える
11月9日の放送で、満は『人生の楽しみを自ら放棄してどうすんだ』『最短の時間、最短の距離で歩く人生に面白い木の実は落ちておりませんから』と持論を展開。
また、16日の放送では年上女子と急接近していく様子が描かれ、その中でも『ヒモかヒモじゃないかは、相手への愛情があるかないかの問題』と満は言っています。
「ヒモ男」として片づけてしまうのではなく、そこに相手への愛情があればそれはヒモじゃない。
ニートとして6年間を過ごし、31年という自分の人生をもって、ニートを経験しているからこそ言えることなのかもしれません。
ニートで、屁理屈で、色んなことをごまかそうとしますが、言っていることは的を得ていて「確かにそうだよなぁ」と聞く相手を納得させてしまう力が満の言葉にはあります。
ニートにはニートなりの考え方があり、ニートを経験していなければニートをしている人の気持ちなんて分からない。
色んな嫌なことや面倒くさいことから逃げようと必死に屁理屈を考えるからこそ、ネガティブなこともすべてポジティブに転じる考え方ができるようになる
当たり前のように学生から社会人になり、身を粉にして働くことで見失うことも現代にはある
心にゆとりがない現代人に『人生』とは何なのかを考えさせてくれるドラマです。
ニートも屁理屈も続けることで受け入れられる
ニートでも何でも『何か1つのことを続けること』は簡単なことではありません。
筋トレもダイエットも、日記もジョギングも、毎日続けること、数年数十年と継続するってとてつもなく大変です。
自分自身を振り返ったとき、なにか1年でも3年でも5年でも、続けられていることが1つでもありますか?
物事を続けるということは、最初は違和感があったことも、日が経てば徐々に慣れてきて、半年~1年も経てばそれは日常と化します。
続けることに意味が、継続することに価値がある
何事も続ければ見えてくるものが違い、走り続ければ見えてくる景色が変わります。
それは自分が変わったのではなく、周りが変わったんです。自分はただただ続けてきた、走り続けてきただけで
変わったのは周りの人たちや周りの環境です。続けることで周りが受け入れ、当たり前の日常の一部として認められます。
『俺の話は長い』生田斗真演じるニート|屁理屈に垣間見る人生のあり方 まとめ
ニートにもいろんなタイプの人間がいて、屁理屈をこねないニートもいるし、現実逃避ではなく人生の中休みとしてニート生活をしている人がいたり
自分のやりたい仕事が見つからずニートになってしまっている人もいたり。
一言で『ニート=現実逃避』『ニート=仕事したくない人』とまとめられてしまうのも、同じニートとしては息苦しいところです。
新しいことを始めれば必ず周りが何か言うものですが、何も言わせなくするためには、始めたことをずっと続けること。
それが当然のことになるくらい継続して、周りに受け入れてもらうこと。
受け入れてもらおうと頑張らなくても、人はずっと起き続ける物事に対しては違和感を感じなくなり
そんな人が増えてくると、反対していた人も受け入れざるを得ない状況になるのが今の日本です。
ニートでも、屁理屈でも、何でも❝続けること❞で周りから当たり前のこととして受け入れられる
1度きりの人生を自分らしく生きていくなら、『お前の話は長い』と言われるような持論を、少しくらい持っていてもいいのかもしれません。